大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松地方裁判所観音寺支部 昭和44年(ワ)31号 判決 1971年8月10日

原告

吉村シナエ

被告

尾崎岩雄

ほか三名

主文

(一)  被告尾崎岩雄は、原告に対し、金五三万円を支払え。

(二)  原告の被告尾崎岩雄に対するその余の請求および被告安部等、同平田一雄、同安部勝一に対する各請求はいずれもこれを棄却する。

(三)  訴訟費用中、原告と被告尾崎岩雄との間に生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その一を被告尾崎岩雄の負担とし、原告と被告安部等、同平田一雄、同安部勝一との間に生じた分は原告の負担とする。

(四)  この判決の第一項は、仮に執行することができる。たゞし、被告尾崎岩雄が金二〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

(当事者の求めた裁判)

原告は「(一)被告らは各自、原告に対して、金一、三一五万円を支払え。(二)訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決並びに右(一)の部分につき仮執行の宣言を求め、被告らは「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

(当事者の主張)

一、原告らの請求原因

(一)  身分関係

原告は、後記事故で死亡した磯崎順三(以下順三という。)の実母である。

(二)  交通事故

順三は、昭和四三年一二月二一日午後七時五〇分ごろ香川県三豊郡詫町大字詫間二、八五〇番地先県道の右側端を西から東に向つて歩行中、後方から同方向に進行してきた被告尾崎岩雄(以下被告尾崎という。)運転の普通貨物自動車(香四さ四五三六号、以下加害車いう。)に追突されて約一五メートル先の田にはね飛ばされ、脳底骨折の傷害を受け、直ちに平林外科医院に入院したが、同日午後九時一五分右傷害のため死亡した。

(三)  被告らの責任

1 被告尾崎は、加害車を所有してこれを自己のため運行の用に供していた。従つて、被告尾崎は、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)第三条本文により本件事故による損害を賠償する義務がある。

2 被告らは、事故当日午後二時ごろから、被告安部等(以下被告等という)方で飲酒し、泥酔したうえ、さらに善通寺市方面に二次会に行くため、被告尾崎運転の加害車に同乗し、制限時速三〇キロメートルのところを時速五・六〇キロメートルで疾走し、道路右側端を通行中の順三に衝突させたもので、本件事故は被告尾崎の泥酔による無謀運転の結果発生したものである。

被告等、被告平田一雄(以下被告平田という。)、被告安部勝一(以下被告勝一という。)の三名(以下この被告三名を単に被告三名ともいう。)は被告尾崎とともに飲酒し、被告尾崎が泥酔しているにもかかわらずこれを阻止することなく同被告運転の加害車に同乗してともに二次会に行こうとしていたもので、同日午後二時ごろから被告尾崎と一緒に飲酒していたこと、二次会に行くため誘い合つたこと、飲酒運転と知りつつ同乗したことなどから、被告尾崎とともに不法行為者として民法第七〇九条第七一九条により各自連帯して本件事故による損害を賠償する義務がある。

(四)  損害

本件事故によつて被つた亡順三および原告の損害は、次のとおりである。

(1) 順三の損害

(イ) 逸失利益

順三は、昭和二九年六月二六日生れの男子で、中学生であつたから、その平均余命は四七・九一年である。そして、高等学校卒業者の勤労者全国平均賃金定期給与は月額四万二、七〇〇円であり、全国都市勤労者世帯の平均支出額から割出した一人当りの生活費は月額一万七、二七九円であるから、右賃金から右生活費を控除すると、月額二万五、四二一円(年額三〇万五、〇五二円)となる。これに年間賞与特別給与額一五万八、三〇〇円を加算すると、順三は年間四六万三、三五二円の純益をあげ得た筈である。これをホフマン式計算法により中間利息を控除すると、順三の逸失利益は一、一〇四万円(一、〇〇〇円未満切り捨て。)となる。

(ロ) 慰謝料

順三は交通法規を守り、道路の右側端を歩行していたのに、被告尾崎の飲酒運転により死亡させられたもので、順三の損害および死亡による精神的肉体的苦痛は甚大であり、これを金銭に見積ると、四〇〇万円に相当する。

(2) 原告の損害

(イ) 葬式費用

原告は、順三の死亡による葬式費用として一〇万円を支出した。

(ロ) 慰謝料

原告は、本件事故による精神的打撃のため、半年余りも仕事が手につかず、また順三の兄で小児麻痺のためいつも順三とかばい合つていた原告の前婚の子服部隆は事故のシヨツクで数日間食事もせず遂に寝込んでしまい原告に手数を掛けるようになつた外、原告の家族、親族の精神的打撃ははかり知れぬものがある。原告が本件事故のため仕事を休んだ損害も多大である。

原告は、三人の子供のうち順三に期待をかけ、また将来を楽しみにしていた。それは、前記長男隆が病気のため頼りにならず、次男の良二に比べて順三が素直な性格であつたからである。順三は、中学校で野球部のマネージヤーをしたり、サツカー部に入る一方、工業高等学校に入学するため受験準備の勉強をし、直面目で人懐い性格は誰からも愛されていた。このような順三の死亡による原告の精神的打撃は筆舌に尽し難いものがある。

被告らは、事故直後から全く誠意がなく、右側端を歩いていた順三が悪いと暴言をはき、損害の賠償についても仲介人に依頼したからといつて原告方を訪れようともせず、一〇〇万円とか二〇〇万円とか値ぶみをし、被告尾崎が調停の申立をした際、相談に行つた弁護士から注意され、ようやく三〇〇万円を原告方に持参して支払うことにしたようであるが、そのうち三万円を控除した二九七万円を持参したに過ぎない有様である。

これらの事情にかんがみ、原告に対する慰謝料は四〇〇万円が相当である。

(五)  相続

原告は順三の実母として、前記四(1)(イ)(ロ)の順三の損害賠償請求権を相続した。

(六)  損害の填補

原告は、本件事故により自賠法による保険金二九〇万四、七〇八円、被告尾崎から三〇八万円(内訳は一一万円と二九七万円)の支払を受けた。

そこで、原告は、前記損害の合計一、九一四万円に右五九八万四、七〇八円を充当する。そうすると、原告の損害の残金は一、三一五万五、二九二円となる。

(七)  そこで、原告は、被告ら各自に対して、前記損害のうち金一、三一五万円の支払を求める。

二、被告らの答弁

(一)  被告尾崎の答弁

原告の請求原因(一)は認める。同(二)のうち、順三が県道の右側端を歩行していた点を除き、その余は認める。順三は県道の右側端から約一メートル中央寄りを歩行していた。同(三)の(1)のうち被告尾崎が加害車を所有してこれを自己のため運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。(2)は争う。同(四)は争う、もつとも服部隆が病気がちであることは認める。同(五)のうち原告が順三の損害賠償請求権を相続したことは認めるが、その余は争う。同(六)のうち原告が、自賠法による保険金二九〇万四、七〇八円、被告尾崎から三〇八万円(内訳は一一万円と二九七万円)の支払を受けたことは認めるがその余は争う。

(二)  被告三名の答弁

原告の請求原因(一)は認める。同(二)のうち、順三が県道の右側端を通行していた点を除き、その余は認める。順三は県道の右側端から約一メートル中央寄りを歩行していた。同(三)の(2)は争う。同(四)は知らない。同(五)(六)はいずれも知らない。

三、原告らの主張および抗弁

(一)  被告尾崎の抗弁

(1) 原告と被告尾崎との間には、本件事故について、次の調停が成立している。すなわち、昭和四四年五月二六日、観音寺簡易裁判所において、原告の夫である原告の代理人吉村正三と被告尾崎との間で「(イ)申立人(被告尾崎、以下同じ。)は、相手方両名(原告および吉村正三、以下同じ。)に対し、金三五〇万円の支払義務あることを認め、内金三〇〇万円を本年(昭和四四年)五月末日までに、残金五〇万円を昭和四五年五月末日までに、それぞれ相手方宅に持参して支払うこと。(ロ)相手方両名は申立人に対し、本件事故に関しては前項以外一切の請求をしないこと。(ハ)調停費用は各自負担とする。」との調停が成立した。

なお、被告尾崎は、原告に対し、昭和四四年五月三一日、右三〇〇万円(ただし、現実に支払つたのは医療費三万円を控除した二九七万円である。)を支払い、残金五〇万円については被告尾崎が本件事故による禁錮刑の受刑中であつたのでその支払は未了である。従つて被告尾崎の債務は右五〇万円が存するに過ぎない。

(2) 仮に、右調停につき、吉村正三が原告の代理権を有していなかつたとしても、原告は、昭和四四年五月三一日、被告尾崎から前記調停に基づく義務の履行として提供した二九七万円を異議なく受領しているから、その時点において前記調停に包含された示談契約を追認し或るいは被告尾崎との間に調停と同一内容の示談契約が成立した。

(3) 仮に、被告尾崎に賠償義務があるとすれば、順三の逸失利益から四年間の養育費を控除すべきである。

(4) なお、原告は、本件事故により詫間町交通災害保険金五〇万円を受領しているから、これを原告の損害から控除すべきである。

(二)  被告三名の主張および抗弁

(1) 原告は、本件事故について被告三名に共同不法行為責任がある旨主張する。しかしながら、自動車運転者にすすめて飲酒させた者に対し、飲酒運転に基づく事故につき共同不法行為責任を負わせるには、その飲酒の直後に自動車を運転するものであることを知悉しながら、その者に対し酒を提供して飲ませ、かつその運転者に自己の車を提供するとか、運転を命ずる等の支配的関係ないし能動的地位が認められなければならない。

ところが、本件においては、

(イ) 本件事故前被告等方での酒会の当時、被告三名を含めてすべての参会者は、本件事故の運転者である被告尾崎が自動車を運転して来ていることは全然知らなかつた。

(ロ) さらに、本件事故の原因となつた余所への遠出の話は、右酒会終了間際に出たものであり、しかも参会者全員タクシーに乗車して出かけることに決り、その一人である尾崎安男が他の者より一足先きに出てタクシーを呼び、全員が被告等方より表道の富山商店前まで出て、同所でタクシーを待つていたものであり、またそのタクシー待ちの際にも後記のように被告尾崎が加害車を運転して同所に現われるまで、被告尾崎が車に乗つて来ていることを誰も知らなかつた。

(ハ) 被告尾崎が運転した加害車は同被告の所有である。

(ニ) 被告尾崎の本件飲酒運転は、専ら同被告の自発的意思によるものであり、被告三名が右運転に関与したり働きかけたりした状況は全く認められない。以上(イ)から(ニ)の事実関係によれば、被告三名は、酒会の際、飲酒後に被告尾崎が車を運転することは全然予想もしていなかつたものであり、また加害車は被告尾崎の所有であり、かつ被告尾崎が本件事故の原因である酒酔運転をするに至つたのは同被告の全く自発的意思によるもので、被告三名が被告尾崎に何らの積極的、能動的行為に出ていないことが明らかである。そうすると、被告ら三名の行為は、自動車運転者に酒をすすめて飲酒させた者に対し共同不法行為責任を肯定するために必要な前記の前提要件を充足せず、また本件事故との間に相当因果関係を欠くことも明らかである。

従つて、原告の被告三名に対する請求は理由がない。

(2) 仮に、被告三名に共同不法行為責任が認められるとしても、原告と被告尾崎との間での前記被告尾崎の抗弁(1)(2)の調停ないし示談契約により、被告三名は免責された。すなわち、原告と被告尾崎との間で調停ないし示談が成立した以上、その当時被告尾崎が本件事故の殆んどを形成し、究極の責任者であることを知悉していた原告としては、右調停ないし示談により本件事故の紛争全体の一挙解決を図つたものであり、従つて調停ないし示談の免責の効果は本件事故につき極めて軽微な責任を負うに過ぎない被告ら三名に対しても絶対的に及ぶものであることは明らかである。

よつて、被告三名は、いずれも前記調停ないし示談の免除の利益を受け、免責済であるから、原告の被告三名に対する請求は理由がない。

四、被告らの主張および抗弁に対する原告の答弁

(一)  被告尾崎の抗弁(1)(2)のうち、原告が被告尾崎から昭和四四年五月三一日二九七万円を受領したことは認めるが、その余はすべて否認する。原告は、被告尾崎から本件事故により被つた損害賠償の一部として右二九七万円を受領したものであつて、調停ないし示談契約とは全く関係がない。同(3)は争う。同(4)のうち原告が詫間町交通災害保険金五〇万円を受領したことは認めるが、これは原告が保険に加入して保険料を支払つたもので、本件事故による損害の填補に当てられるべき性質のものではない。

(二)  被告三名の主張および抗弁(1)は争う。同(2)のうち二九七万円の受領については被告尾崎の抗弁に対する前記答弁のとおりであり、その余はすべて否認する。

(証拠関係)〔略〕

理由

(被告尾崎に対する請求について)

一、原告の請求原因(一)の事実、同(二)のうち順三が県道の右側端を歩行していた点を除いたその余の事実、同(三)の1のうち被告尾崎が加害車を所有してこれを自己のため運行の用に供していた事実はいずれも当事者間に争いがない。そして、〔証拠略〕によると、順三は、事故当時県道の右(順三の進行方向から見て)側端から一メートル以内の中央寄りを西から東に向つて道路交通法の規定に従い歩行していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、被告尾崎は、本件事故により被つた亡順三および原告の損害を賠償すべき義務がある。

二、そこで、被告尾崎の抗弁(1)(2)について判断する。〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告は、昭和二六年五月、吉村正三の事実上の婚姻(内縁)関係を結んで以来同棲し、磯崎良二および順三の二子を儲け、昭和四四年七月七日婚姻の届出をした。吉村正三は、同月一〇日前記良二を認知したが、順三の認知はしていない。

(二)  吉村正三は、本件事故後、順三の事実上の父および原告の代理人として、被告尾崎に対し順三の死亡による損害賠償の請求(ただし、金額は示していない。)をし、昭和四四年四月二八日ごろまで交渉を重ねたが、その解決を見るに至らなかつた。

(三)  被告尾崎は、本件事故により業務上過失致死、道路交通法違反の罪で高松地方裁判所観音寺支部に起訴され、公判中のところ、次回公判期日が昭和四四年五月二〇日と指定された。ところが、被告尾崎は、情状証拠として提出する被害者側との示談が成立していなかつたため、昭和四四年五月七日、原告および吉村正三の両名を相手方として観音寺簡易裁判所に対し本件事故による被告尾崎の債務の確認を求める調停の申立(同裁判所昭和四四年ノ第二〇号)をした。

(四)  右調停事件で、観音寺簡易裁判所は三回に亘つて調停期日を開いたが、そのうち原告は第一回期日に出頭し、第二、三回期日には出頭しなかつた。第三回の期日である昭和四四年五月二六日、被告尾崎と吉村正三および原告の代理人吉村正三との間で自賠法による保険金の外に「(1)申立人(被告尾崎、以下同じ。)は、相手方両名(原告および吉村正三、以下同じ。)に対し金三五〇万円の支払義務あることを認め、内金三〇〇万円を本年(昭和四四年)五月末日までに、残金五〇万円を昭和四五年五月末日までに、それぞれ相手方宅に持参して支払うこと。(2)相手方両名は申立人に対し、本件事故に関しては前項以外一切の請求をしないこと。(3)調停費用は各自負担とする。一との合意が成立したので、調停委員会は、右調停条項を相当として当事者双方に前記(1)(2)(3)の調停条項を読みあげたうえ、調書を作成した。右調停期日において、吉村正三は、原告の代理権を証明する原告の委任状並びに代理許可申請書をすみやかに追完することを約束した。吉村正三は、当日調停終了後帰宅し、原告に対して前記調停条項の内容を説明し、同月末日(昭和四四年五月末日)被告尾崎が三〇〇万円を持参することを告げた。

(五)  被告尾崎は、昭和四四年五月三一日、前記調停条項(1)の義務の履行として原告方を訪れ、原告および吉村正三がいた原告方二階の部屋に上り、挨拶を始め金を出そうとした。その時、原告は、被告尾崎が前記調停による金員を持参していることを承知していたが、順三を死亡させた男の顔を見たくなかつたので、直ぐ階下に下りた。被告尾崎は、その場で、吉村正三に対し二九七万円を渡し、残金三万円は順三の治療費として病院に支払済であるので三〇〇万円から三万円を控除し、二九七万円を持参した旨を告げた。吉村正三は、右二九七万円を確認したうえこれを受領し、同人名義の領収書を作成したところ、被告尾崎から原告との連名の領収書を求める申出があつたので、階下に下り原告に二九七万円の領収書を作成することを告げその承諾を得て原告から印鑑を受取り、原告の氏名を代書してその名下に右印鑑を押捺し、再び二階に上つて被告尾崎に領収書を交付した。その際、吉村正三は、被告尾崎に残金五〇万円についても出来る限り速かに支払うよう要請した。右二九七万円の授受の際、原告および吉村正三は、前記調停について何らの異議も述べなかつた。

(六)  原告は、他人から本件のような事故であれば、八〇〇万円から一、〇〇〇万円の損害賠償の要求ができることを聞いた(その時期は、証拠上明確でない。)。

(七)  被告尾崎は、昭和四四年六月一八日ごろ、同被告の刑事弁護人から原告が調停に文句を言つていることを聞いた。

(八)  原告および吉村正三は、観音寺簡易裁判所に対して前記調停事件の委任状並びに代理許可申請書を提出しないまま、昭和四四年七月二八日本件訴を提起(ただし、吉村正三は同年九月四日訴を取下げた。)した。

以上の各事実が認められ、右認定に反する証人吉村正三(第一、二回)、原告本人(第一、二回)の各供述部分は前記各証拠に照らして採用できないし、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

ところで、民事調停法による調停において、当事者間に合意が成立し、これを調書に記載したときは、調停が成立したものとし、その記載は、裁判上の和解と同一の効力を有する(同法第一六条)のであるが、その成立した調停は、私法上の行為(合意)であると同時に訴訟行為たる性質を有するものと解するのが相当である。そして、調停は、当事者本人がみずから出頭するのが原則であるが、やむを得ない事由があるときは代理人を出頭させることもできる(民事調停規則第八条第一項)。代理人の出頭によつて調停が有効に成立するためには、先ず代理権が存在しなければならず、その代理権は書面によつて証明することを要し、かつ弁護士でない代理人を調停に出頭させるには調停委員会の許可を得なければならないことは民事調停法第二二条、民事調停規則第八条、非訟事件手続法第六条第一項第七条、民事訴訟法第八〇条第一項の各規定に明示するところである。しかるに、前記認定の事実によれば、原告と被告尾崎との間の前記昭和四四年五月二六日付調停成立の調書によると、吉村正三が原告の代理人と記載されているが、原告から代理権を証明する委任状その他これに類する書面が提出されておらず、代理権存在の証明がなされていないことが明らかであるから、訴訟行為である前記調停は、原告と被告尾崎との間においては無効という外はない。

しかしながら、前記認定の事実によれば、原告は、その夫(調停当時は内縁の夫)吉村正三から前記の調停条項を聞きその内容を充分知り、しかもその履行として被告尾崎が持参したものであることを知りながら、被告尾崎の債務三五〇万円のうち八割以上にあたる二九七万円を何らの異議も述べないで受領し、領収書を発行していることが明らかである。そうすると、原告は、少なくとも、前記の無効な調停(訴訟行為)と同時になされた原告の無権代理人吉村正三と被告尾崎との間の前記調停条項(1)(2)と同一内容の私法上の合意(これは民法上の和解にあたる。以下これを私法上の和解という。)を、昭和四四年五月三一日前記二九七万円を異議なく受領したことによつて追認したとみるべきである。しからば、被告尾崎のこの点についての抗弁は理由がある。

三、次に、〔証拠略〕によれば、原告は、被告尾崎に対して、私法上の和解が成立しているとすれば本訴で予備的に私法上の和解に基づく支払を求めていることが伺えるので、この点について検討する。前記私法上の和解によれば、被告尾崎は、原告に対して、三五〇万円の支払義務のあることを認め、内金三〇〇万円を昭和四四年五月末日までに、残金五〇万円を昭和四五年五月末日までに原告方に持参して支払う旨の約束がなされていることが明らかである。そして、被告尾崎が昭和四五年五月末日までに支払うべき右五〇万円についてその支払をしていないことは同被告の自認するところであり、また被告尾崎が昭和四四年五月末日までに支払うべき三〇〇万円のうち二九七万円を支払つたことは前記のとおりで、残金三万円については、被告尾崎はその支払を拒み得る正当事由の主張立証をしない。右の事実によれば、被告尾崎は原告に対し右五三万円の支払義務があること明らかである。

四、しからば、原告の請求中、被告尾崎に対して、金五三万円の支払を求める部分は理由があるから正当としてこれを認容し、その商店余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費負担につき民事訴訟法第八九条第九二条本文を、仮執行およびその免脱の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(被告三名に対する請求について)

一、原告の請求原因(一)の事実、同(二)の事実のうち順三が県道の右側端を歩行していた点を除いたその余の事実はいずれも当事者間に争いがない。そして〔証拠略〕によると、順三は、事故当時県道の右(順三の進行方向から見て。)側端から一メートル以内の中央寄りを西から東に向つて道路交通法の規定に従い歩行していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二、原告は、被告三名が事故当日の午後二時ごろから被告尾崎とともに飲酒していること、二次会に行くため誘い合つたこと、飲酒運転と知りつつ同乗したことなどから共同不法行為者として本件事故による原告の損害を賠償する義務がある旨主張するので判断する。〔証拠略〕を綜合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  被告尾崎は、昭和四三年一二月二一日(事故当日)午前一一時三〇分ごろから三豊郡詫間町大字詫間字塩生の海苔加工場で、約四〇分間漁師仲間と清酒約〇・一八リツトル(約一合)を飲み、そこで昼寝をした後、午後三時ごろ加害車を運転して帰宅の途中、同町高谷部落の被告等の海苔加工場附近に駐車し、その工場に立寄つたところ、被告等、同平田の両名がいた。被告等は、ビール二本を抜き、その場で三人が飲んだが、被告等、同平田は被告尾崎が加害車を運転して来ていることを全く知らなかつた。ビールを飲んでいるうち、被告等方で同人が提供する酒を飲もうということになり、三人で約四〇〇メートル離れた被告等方に歩いて行つた。

(二)  被告等方では、先ず三人が交替で風呂に入り、午後六時前ごろから被告等、同尾崎、同平田の三人で飲酒を始めたところ、安部敏明、尾崎安男、小野明の三人が来たので同人らを加えて飲酒しているうち、午後七時前ごろ同家の前を通りかかつた被告勝一を誘い入れ、合計七名で海苔の検査の話をするなどして午後七時三〇分ごろまでに清酒合計約五・四リツトル(約三升)を飲み、被告勝一を除いた他の六名はかなり酒に酔つていた。丁度右飲酒が終るころ、誰れ言うこともなしに「釜うどん」とか「すし」を食べに出かけようという話が持ち上り、タクシー二台で全員が出かけることになつたが、その行き先は明確には決めていなかつた。尾崎安男は、タクシーを呼ぶため一足先きに出て富山商店(同店は被告等の家から約四〇〇メートルの距離にあり、被告等の海苔加工場の近くにある。)に行き電話で須田タクシーを呼んだが、タクシーが二台いなかつたので同町内の「すし屋」へ行くのであれば一台で二往復すれば良いと考え(同人は同町内のすし屋へ行くつもりであつた。)一台しか呼ばなかつた。被告等方は道が狭くてタクシーが来ないため、被告等、同勝一を除いた四名が歩いて富山商店の前に行き、同所でタクシーが来るのを待つていた。ところが、被告尾崎は、タクシーが来るのが遅かつたので、急に同被告所有の加害車を運転して出かけようと考え、一人で加害車を運転して突然富山商店の前に現われ「これで行くから乗れ。」といつて停車した。そのころ、被告等、同勝一が歩いて富山商店前に来た。そこで、被告三名は被告尾崎および小野明から加害車に乗れと誘われたのに対し、タクシーで行くとの問答もあつたが、結局誘われるままに加害車に同乗した。

(三)  被告尾崎は、加害車を運転し、時速約四〇キロメートルで同町大字詫間二八五〇番地先県道(幅員約五・二メートル)に差しかかつた際、運転開始前に飲んだ酒の酔いのため注意力が散漫になり前方注視が困難となつたが、運転を中止することなく、漫然同一速度で進行したため、前方を加害車と同方向に進行していた吉村正三操縦原告同乗の自転車右側を追越中、県道右端附近を加害車と同方向に歩行中の順三の発見が遅れ、約七メートルに接近して初めて順三を発見し、あわてて急停車の措置をとつたが間に合わず、加害車右前部を順三に衝突させ、約一五メートル先の田にはね飛ばして脳底骨折の傷害を負わせ、同日午後九時一五分平林外科医院で右傷害のため順三を死亡させた。

(四)  被告尾崎の日ごろの酒量は約〇・九リツトル(約五合)でかなり酒には強い方である。

(五)  被告らは、同町内の同部落に住む漁師仲間で、相互に親しい間柄にある。

以上の事実が認められ、右認定に反する〔証拠略〕はいずれも前記各証拠に照らして信用できないし、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

ところで、飲酒直後に自動車の運転をすることを知りながら、その者に酒を提供して飲ませ、この運転者が酩酊した状態で他人の自動車を運転するのをあえて制止せず、自からもこの自動車に同乗して運行の利益を受け、その運行の途中において酩酊運転に起因する事故を発生させたときには、酒を提供して飲酒をすすめた者は自から直接運転行為に関与していなくても右運転者の酩酊運転に起因する事故の発生(他人の権利侵害)に対し共同の原因を与え、右飲酒をすすめた行為と事故の発生との間には相当因果関係があるものとして共同不法行為者としての責任を免れないものと解するのが相当である。そこで、本件について考えてみるに、前記認定の事実によれば、被告等が被告尾崎外五名に酒を提供し、被告平田、同勝一らとともに酒をすすめ合つて飲み交すとき、被告三名は被告尾崎が被告等方の海苔加工場附近に加害車を駐車させていたことは勿論飲酒直後に加害車を運転することは全く知らなかつたことが明らかである。次に、富山商店前で被告尾崎が加害車を運転することを、被告三名においてこれを制止し、あるいは同乗を拒否する義務があつたかどうかについて考えてみるのに、同乗者に制止義務違反があるとして運転者との共同不法行為責任を負わせるためには、運転者がかなり飲酒していたとしても、同乗者において、その運転に関し、自転車が同乗者の所有であるとか、運転を命じあるいはこれを促すといつたような支配的な関係にあるとか能動的な言動にでることが必要であると解すべきところ、前記認定の事実によれば、タクシーの来るのが遅かつたため被告尾崎が自発的に同被告所有の加害車の運転を急に思いつき、これを運転して富山商店前に突然現われ、小野明とともに被告三名に同乗を勧誘したことにより、被告三名が同乗するに至つたことが認められる。そうすると、被告三名は、右勧誘によつて同乗したもので、加害車の運転に関し支配的な関係にあつたとか能動的な言動にでたとは到底認められない。なお、同乗を拒否する義務については、加害車は被告尾崎の所有であるから、被告三名が仮に同乗を拒否したとしても、被告尾崎は運転を中止しなかつたであろうことが容易に推測できるから、この義務を尽さなかつたことと本件事故との間には相当因果関係があるとは言い難い。他に、原告主張の共同不法行為を認めるに足る証拠はない。

三、しからば、原告の被告三名に対する請求はすべて理由がないからこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口茂一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例